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阪神淡路大震災あれから

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あれから25年。この日を迎えると奥底にしまっていたものが甦ってきます。あの日、淡路神戸を中心にゴーという唸りの後に楕円形に揺れました。京都府下の我が家は家財道具が倒れ、壁が剥がれ、水が逆流し、ガラスが散乱しました。停電のために全貌が見えず、ラジオからの情報だけが頼りでした。電気が普及してテレビを観ると、活動拠点だった神戸の町は、映画のワンシーンのような、特撮もののような、玩具のような状態になっていました。翌週に予定されている会場はビル全体が潰れ、出来るはずもないのに、仕事はどうなるのだろうかと普通に思ってしまいました。一緒に活動していたアンサンブルのメンバーも連絡がつかなかったり、ライフラインが止まり生活に支障がでたり、活動を停止しないといけないのかとも考えました。しかし、出来ることをする。出来ることは歌うこと。こんな時に歌なんてと被災したメンバーは反対しましたが、こんな時こそ音楽をしなくてはと決断しました。鍵盤ハーモニカを片手に、受け入れのある避難所を回りました。露骨に迷惑そうに迎えられた時もありました。勝手にどうぞという感じで迎えられた時もありました。しかし、少しずつ避難所に居られる方、避難所の開設に携わってられた教職員の方々の表情が柔らかくなっていったことは今でも忘れられません。音楽の力の偉大さを確信した瞬間でした。あの時から、神戸は音楽療法に取り組みだされたとも聞いています。
そして今日、神戸の町、灘でのチャリティーコンサートを聴きに行きました。ヴァイオリニストの方からのお誘いでした。王子公園駅から商店街を抜けて会場に向かい、おそらくこの近辺もあの時は歩いたであろうと思い返しながら胸がいっぱいになりました。
コンサートは、一部がソロリサイタル、二部がアンサンブルでした。ヴァイオリンの音、第一音は言葉にできない魂が飛んできました。音楽は人の心に土足で入ってきます。心を揺さぶり過去へ引き戻され、悲しみの感情を蘇らせ切なくする。あの時に辛い経験をした者の深い思いが音楽を通して心に飛び込んでくる。泣くでもなく、わめくでもなく静かに響く。ステージには、あの時まだ生まれていなかった子供たちも演奏に加わりました。伝えていく意味を考えながらじっと耳を傾け鑑賞したコンサートでした。
自然の力には勝てません。しかし、何が出来るかを考えること。それを実行すること。心に誓う日となりました。

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